『雨 のち 虹』
「ねえ優二、起きなってば。」
少女は、リビングのソファーで眠る少年の体を揺さぶりつつ、床に座り込んでそのソファーにもたれかかっている。
その声を聞いても様子を見ても、同じ動作の繰り返しに飽きがきているのは明らかだ。
それでも、寝息をたてて、起きる様子など微塵もない少年。
呆れた少女は、ついに立ち上がる。
「起きろっての!!」
大きく振りかぶると、少年のみぞおちに強烈なパンチをきめる。
「いっ……!」
腹を押さえて、そのまま床に転がり落ちる少年。
不幸にも床に頭をぶつけ、うずくまるとそのまま動かなくなった。
「ったいなあ! いきなり何するんだよ!?」
数分後、ようやく復活した少年が、大声で叫んだ。
「だって優二、いくら呼んでも起きないんだもん。」
少女は、悪びれた様子もなく言う。
「だからって、殴らなくてもいい…。」
少し弱気になる。心当たりがあったからだ。
「こうでもしないと、優二起きないでしょ。」
そう。
昔から、一度寝ついたらなかなか起きないという『特技』があったのだ。
役に立つことはほとんど、というか全くなかったが。
今度、呼ばれたら起きる練習をしておこう…。
「その前に、なんで春香がここにいるんだ?」
ふと気付いて問いかける。
本来ならばまず最初に気付かなければならないはずだが。
なぜって、この少女、優二の家の人間ではないのだから。
「なんでって、そんなのいつものことでしょ?」
「質問を間違えた。何の用だ?」
幼いころから互いの家に行ったり来たり、兄弟さながらに育った二人にとって、家に相手がいるのもあたりまえだった。
からして、今回も気付かなかったのだろう。
が、それにしても誰の許可を得て家に入ってきたというのか。
今、家には優二しかいないはずなのに。
「だから、ケーキ作るって言ったじゃない。」
つまるところの幼馴染である少女、春香は言った。
ケーキ…。
そういえば、クリスマスケーキを作ろう、とか言っていた気もする。
「あれ、本気だったの?」
「もちろん。優二のお母さんに頼まれてるんだから。」
「何を頼んでるんだ、あの人は…。」
昔から、遊びに来た春香が優二の母と遊んでいることもよくあって、そういう場合、大概何か料理を作っていた。
いつも、楽しそうに。
二人は、歳の離れた友人どうしも同然だった。
母が頼めば春香もやってくる、といったところだ。
「優二なんてどうせ寝てるだけだろうから、どんどん使ってくれ、って言ってたよ。」
「自分は仲間達と楽しく食事会とか行っておいて、俺にはそういうことを言うのか、あの人は。」
まあ、今更なにを言っても無駄だろうから、これ以上は言わないことにする。
「とりあえずそういうことだから、その『あの人』が帰ってくる前に完成させる計画ね。」
そう言いながら春香は、リビングと隣合わせのキッチンに移動する。
しぶしぶながらもついていく優二。
「まず、材料が足りないみたいだから…。」
既にチェック済みなのか、探すこともせず春香が言う。
「そうだなぁ、優二、買ってきてよ。」
「え、俺が?」
どうやら、早速使われるようだ。
「そう。なに? 一緒に行ってほしい?」
「いや、そういうわけじゃないけど…」
「そうだよね。じゃ、いってらっしゃい。スポンジの材料はあるから、私、先に作ってるよ。」
また逆らえなかった。
春香ペースに飲み込まれると、いつもこうだ。
反論する前に、気付けば会話が終わっている。
しかたがない、あきらめて買い物に行ってこよう。
「何買ってくればいい?」
「えっとね、生クリームとくだもの。缶詰かな。」
優二はキッチンを出ていった。
が、すぐに戻ってきた。
「知るわけないと思うけど、俺の」
「財布なら電話の横にあるよ。」
聞きたかったことをズバリ言い当てられた優二は、電話の横を確認した。
確かに、財布があった。
「何で知ってるんだ…。」
春香に聞こえないようにつぶやくと、静かに家を出た。
雲行きが怪しかった。
今にも雪の降り出しそうな、灰色の冬の空。
「降るかなぁ。さっさと行ってきますか。」
空を見上げていた優二は、走り出した。
「予想的中…。しかも雨。雪だろ、この季節は。」
帰り道、ビニール袋を片手に、季節外れの雨に打たれて、優二は走っていた。
次第に雨は強くなり、逃げるようにして玄関のドアを開いた。
ちょうどそのとき。
「ああ、やっちゃったよ…。」
春香の、落胆したような叫び声が聞こえた。
「どうした?」
キッチンに入ると、スポンジの焼けたいい香りが漂ってきた。
「あ、優二。ごめん、失敗しちゃった。」
「え? でも春香、ケーキ作るの得意だろ?」
いつも母と一緒にケーキを作っているのを見ていたし、実際のところ春香のケーキはおいしかった。
「得意だけど、でも失敗しちゃった…。どうしよう、でも、頼まれてるからまた材料買ってこないと」
「俺が行ってくるよ…。」
「え?」
いつ以来か忘れたが、久し振りに落ち込む春香を見た。
そんな春香を見るのが、昔からいやだった。
「材料買ってきたから、クリームでも作っててよ。」
優二は、手に持っていたビニール袋を春香に渡す。
「ありがとう。でもいいよ。雨も降ってるし、私が買ってくる。」
「俺、どうせ濡れてるしな。何買えばいいんだ?」
春香を半ば無視して、優二は話を続けた。
春香は不思議そうな顔で優二を見ていたが、やがて一枚のメモを差し出して言った。
「ごめんね…。」
優二はそのメモを受け取ると、また静かに家を出た。
「ただいま。」
再び家に戻った優二は、びしょ濡れだった。
傘を差してはいたが、本気で走ってきたら、濡れていた。
春香の計画では、母が帰る前にケーキを完成させる予定になっていた。
急いで帰らなければ、間に合わなくなることだけは避けようと思い、走ってきたのだった。
「春香、買ってきた。」
キッチンに入って、優二は目を疑った。
春香はいないようだったが、テーブルの上には置いてある。
そう、ケーキが。
「あ、おかえり。」
突然後ろから声をかけられて、さらに驚いた。
「春香。なんだよ、これ。」
「ケーキだよ。」
春香は、ケーキの前まで歩くと、おいしそうでしょと言わんばかりの調子で答えた。
「ケーキだよって、失敗したんじゃなかったの?」
優二もケーキに近付く。
「私が失敗なんてするわけないでしょ。」
自信たっぷりだ。
「じゃあさっきのは?」
「演技、演技。だまされた?」
ますます、自信たっぷりだ。
「お前、だました? 俺が冷たい思いして、そのうえ財布の中身までさみし」
「ハッピーバースデー、優二!!」
「え……?」
優二の大声も、春香の一声で遮られた。
「優二、今日誕生日だよね。」
「ああ、そういえば…。」
クリスマスと重なっては、毎年忘れていることが多かったが、確かに今日は優二の誕生日だった。
「前に誕生日プレゼントもらって、その時のお礼がまだだったかな、と思ってね。だますのは気がひけたけど、びっくりさせようと思って。」
「それで…。」
「うん。だからこれ、私からの誕生日プレゼント。」
春香は、テーブルの上のケーキを、優二のほうに差し出した。
「おいしいといいんだけど…。」
「春香のケーキは、いつだってうまいよ。」
「ありがとう。」
そのとき、春香が何かに気付いて窓に駆け寄った。
優二も隣にならんだ。
雨がやみ、雲の隙間から光が差し込んでいた。
「虹がかかるかもね。」
二人は顔を見合わせて微笑むと、空に目をやった。
虹のかけらが、わずかに輝いた。