『拾いびと』
早いもので、いつの間にか夏と入れ替わった秋も、だいぶ深まってきた。
朝夕はそれなりに冷えるし、日中も少し厚手の服を着ていてちょうどいいくらいだ。
家の中で窓際に座っていると、太陽が暖かくて気持ちいい。
時々赤い葉っぱが窓の外を一枚だけ、風に乗って舞っていく。
その度に、机に置いた真っ白な原稿用紙の上を、透明な黒い影が滑っていく。
真っ白な原稿用紙の上。
真っ白な…。
「ああっ、どうしよ、まったく進まないっ!」
締め切りは間近に迫ってきている。
こんな切羽詰った状況になるまで、一体私は何をしていたんだろう?
机の上には、ペンと白い原稿用紙、マグカップ以外には何もない。
「どうしよう、スランプってヤツだよ、これは。よし、まず落ち着け。落ち着け、私」
紅茶を一口、とマグカップを口へ運ぶが、もう中は空だった。
「まずは紅茶を入れるところからだ」
カップを持って立ち上がると、居間を出てキッチンへ向かった。
「選択を誤ったのではないかと思うのだ」
ポットが空だったので、やかんに水を入れながら独り言を言う。
仕事柄、というわけでもないが、文語調にしてみたりもする。
「そもそも私って、他人に甘く自分に甘い人間だもんなぁ」
オフィスなんかで、部長なんかの監視がある仕事に就くべきだったのでは、と今更ながら思う。
それが、自宅の居間という超絶くつろぎ空間を仕事場に選んでしまった。
「失敗だったなぁ。結構いけそうだと思ったんだけど…」
沸騰したお湯で紅茶を入れる。
角砂糖を二つ放り込み、スプーンで混ぜながら居間へ戻った。
真っ白の原稿の前に座りなおす。
日の光が暖かい。
紅茶を一口飲む。
原稿用紙さえなければ、優雅な午前のひと時なのに。
和室だけど。
「どうしよっか…」
ダメな時はダメで、頭を使ったところでアイデアは浮かんでくるものではない。
かといって、締め切りもギリギリで、諦めるなんていう選択肢はない。
とりあえずこの仕事を、どうにか切り抜けなくては。
「いやはや、参りましたなぁ」
そのまま上半身を後ろに倒し、横になって窓から外の景色を眺める。
視界の端に写る木々はどれも赤く色付いている。
風が吹き、一枚だけ葉っぱが舞い落ちる。
そして透明な影が私の身体の上を滑っていく。
「向いてないのかなぁ、この仕事…。」
まだ半年だけど。
幸先は良くない。
秋の空を、ちぎれた雲がのんびりと流れていく。
……。
……。
……。
「しまったーーっ!!」
あわてて飛び起きる。
さっと振り返って壁にかかった時計を確認する。
針は昼過ぎの二時を指していた。
「ああ、つい気持ちよく昼寝してしまった…」
机の上にはすっかり冷めた紅茶と、相変わらずの状態の原稿とペンが転がっている。
「…どうしよっか」
振り出しに戻った気持ちで、冷たい紅茶を飲みながら、原稿用紙に向かった。
朝からずっと考えているのに、納得のいくアイデアは全く浮かばない。
まあずっとと言っても途中ちょっと寝てしまったわけだが。
静かな部屋の中に、時々時計の分針が進むカチッという音が響く。
少しずつ、時間だけが経っていく。
二時半…。
ふと。
「…おやつの時間か?」
これ以上ここでじっと考えていても無駄だと思い、私はおやつを買いに行くことに決めた。
気分転換も必要かも知れない。
昨日まで気分転換ばかりしていたから、今こんな状況なんだけど。
「でも今こそ気分転換が必要っていうか…」
そんなことを呟きながら、もう私は出かける準備が整っていた。
そういえばこの間、新しいパティスリーがオープンしたという話を聞いた。
駅前のケヤキの通りだったか。
結構田舎なこの町の中では、ちょっとお洒落な一角だ。
二十分ほどのその道を、少し気の締まるような秋の香りの空気を吸いながら歩く。
夏とは違う世界を歩いている気分にもなる。
通りへ入る直前、遠くから子供のはしゃぐ声が聞こえて脇を見ると、公園の前を通り過ぎるところだった。
犬の散歩をする人や、子供のそばで立ち話するお母さんたち、ベンチに腰掛ける老夫婦。
私はなんとなく、その景色の中へ入っていった。
積もった赤い葉っぱの上に、しゃがみこんでひょこひょこ動き回る女の子がひとり。
左手にはビニール袋の口をしっかりと掴んでいる。
何かを拾っているらしい。
「なーにしてるのっ??」
姿勢を低くして、女の子に声をかける。
「どんぐり!」
女の子は左手のビニール袋を差し出して見せる。
中にはもう、かなりのどんぐりが入っている。
「いっぱい拾うんだね」
「冬にそなえるの!」
「…そっかぁ、冬は寒いもんねぇ」
食べるのだろうか。
「うん、だからどんぐり集めてマフラー買う」
「へえ、そうなんだぁ」
そういうことだったのか。
どんぐりでマフラーが買えるというのは初耳だった。
「よし、お姉ちゃんも冬に備えてどんぐり拾っちゃおうかなっ!」
「じゃあ競争する!」
女の子は楽しそうに笑う。
「おっ、負けないよ? お姉ちゃんは実はどんぐり拾いのプロなのだ!」
「りゆもプロだもん!」
りゆちゃん。
「よーし、じゃあ始め!」
りゆちゃんは慌てて別の木の下へ走っていって、しゃがみこんだ。
さて、私も拾おう。
…マフラーもかかってるし。
どんぐり拾いなんていつ以来だろう。
こうして改めて見ると、色も光り具合もみんな違って、意外と味わい深いかもしれない。
気に入ったどんぐりを見つけると、私はそれを手にとっていった。
「お姉ちゃん、どんぐり拾うの下手!」
ひとまず競争を終えて、私の手の中のどんぐりと自分のを見比べて、りゆちゃんは言った。
りゆちゃんの薄いビニール袋には、穴が開いてしまいそうなくらいどんぐりが詰まっている。
「うーん、昔はもっと上手だったんだけどな」
「どんぐり拾いは子供のほうが上手」
そうかもしれない。
「これでマフラー買えるかな?」
私の手の中のどんぐりを見せながらりゆちゃんに聞いてみる。
「ちょっと足りないかも…」
流石にどんぐり十個ではマフラーは買えないらしい。
「そっか、残念だなぁ」
がっかりしてみせる。
「しょうがないなぁ。はい、お姉ちゃんには特別にこれあげる」
りゆちゃんは自分のビニール袋の中から、帽子付きのどんぐりを取り出して、私の手に乗せる。
「わあ、ありがとう! これでマフラー買えるかな?」
「ちょっと足りないかも…」
「あれ!?」
ちょっとおどけた顔をしてみせると、りゆちゃんは面白そうに笑った。
「しかたない、またどんぐり拾いの修行して出直そうかな」
「練習すればすぐ上手くなるよ!」
「うん、頑張っちゃうぞっ!」
その時、遠くからりゆちゃんの名前を呼ぶ声が聞こえた。
「お母さんかな?」
「うん、りゆ行かなきゃ!」
「そっか。じゃあまた遊ぼうね!」
「うん! ばいばーいっ!」
りゆちゃんは、手を振りながら勢いよく走り出した。
私も手を振り返す。
お母さんのところにたどり着くと、もう一度私に手を振る。
私も大きく手を振り返す。
お母さんがこちらに軽く頭を下げてから、二人は手をつないで歩いていった。
ときどき振り向くりゆちゃん。
左手にはビニール袋が揺れている。
「私も、帰ろっかな」
りゆちゃんが角を曲がって見えなくなると、私も公園を出て帰路に着いた。
ポケットの中でどんぐりを転がしながら十分ほど歩いた頃。
「しまったーーっ!!」
ケーキ買おうと思っていたのに。
どうしよう。
でも今更引き返す気にはちょっとなれない。
「ま、いっか」
当初の予定は果たしていないけれど、気分転換にはなった。
またどんぐりを転がしながら、私はそのまま家へ戻った。
「さてと」
改めて机の前に座り込む。
窓の外は、やわらかい夕暮れだった。
時折赤い葉っぱが風に乗って舞っていく。
机の上にはペンと白い原稿用紙。
空っぽのマグカップ。
それと、いくつかのどんぐり。
帽子付きがひとつ。
不思議と、ペンは走る気がした。